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2026.05.15

友と自然とハピネスと対話 〜僕らのウェルビーイング学部〜(3)

前回「友と自然とハピネスと対話」(2)の記事は、こちらからどうぞ。

自分を知る

そんな半絶望的な状況の中で、この学部への向き合い方が変わったのは、ある講義がきっかけでした。

それは、中村一浩准教授が担当されている “対話” を取り扱ったものです。どんな講義なのかというと、投げかけられたテーマに沿って話を進めていく中で各々が想う・感じることを出し合っていくというものです。私はそこにまるで意図されたかのような場に対する工夫があると感じました。

話し合いの場と聞くと、必ず何かしらの意見を出さなければいけなくて、最終的にひとつの結論に導かなければいけないと思うかもしれません。私は中学や高校を通してそのようなイメージが根付いていたので、話し合いや対話というものに対して少し窮屈な捉え方をしていました。ですが、この学部の対話はそうではありません。いえ、本来の対話がこの学部の対話なのかもしれません。

少し身構えた感じで初めてこの学部の対話に臨んだ時のことを何となく覚えています。その頃は自分の意見を言う必要がある時になれば、自分の番が回ってくる前に他のメンバーの意見をしっかり聞くこともせずに「どんな風に言えば変に思われないか」ということだけを考えて毒にも薬にもならない中立的な意見を言っていました。ですが、次第に数を重ねていくうちに従来の私が知っていた話し合いとは違う何かを感じました。

一人ひとりが場に出した意見に優劣はなく、それがその人の個性、その人だけの想いとして尊重されているような気がしたのです。何ならテーマに対して何も浮かばないのなら「何もない」で良くて、それがひとつの意見として受け入れられます。逆に「こう想う」のような自分なりの意見があったとして、それは実際に口に出さないと相手には伝わりません。それは自分に対してもそうで、頭の中に浮かんでいて自分で分かったつもりでいても、いざ口に出すと「自分ってこんなこと思ってたんだ」のように自分が自分に驚かされる時もあります。グループ、1on1、自分自身に対して、といろんなシチュエーションで数をこなしていくほどその分だけの発見が出てくるような気がしました。

自分の中に自然と湧き上がってきた想いを偽らず口にすればいいだけのウェルビーイング学部の対話の場。この何かを “強制されていない空間” が後に、自分の中に眠っているものを見つけ出すことを後押ししてくれたのかもしれません。今までは周りからの視線を気にして、自分の外側から “より良いと思われる素材を引っ張ってくる” イメージでした。ですが対話を通じた後は、自分の内側にある想いや感情こそが一番求められているものであって、それを見つけ出すことこそがこの対話の講義の根幹部分なのだと思うようになりました。

 

一般社団法人 ウェルビーイングデザイン

学生インターン 武蔵野大学ウェルビーイング学部3年 林 大希

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